ずいぶん前から、行きたいと思っていた、「江戸東京たてもの園」にようやく行ってきました。
宮崎駿監督が、千と千尋の世界を作るときに参考にしたことで有名な場所ですね。
江戸時代から、昭和初期に作られた、文化的価値のたかい建造物が移築されていて、言ってみれば江戸時代にタイムスリップできるテーマパークのようでもあります。もちろん、乗り物や派手な装飾があるわけじゃあないけれど、まるで千と千尋の世界に入り込んだような街並みがあります。



スタジオジブリ(東京・小金井市)から徒歩6~7分のところに、緑あふれるいこいの場所として知られる小金井公園がある。仕事の合い間に気分を変えるため、宮崎監督がちょくちょく訪れていた公園。
この一角に「江戸東京たてもの園」がある。ここには、明治・大正時代の和洋ミックスの建物が復元されている。宮崎監督が始めてここへやってきたのは、夕暮れどき。
町並みを目にした監督は。思わず涙ぐむほど感激したという。そこで、「千と千尋の神隠し」の舞台として、ここの雰囲気がおおいにヒントになったという。
あの「湯屋」は、ここに復元されている「子宝湯」をモデルにし、さらに山形県の銀山温泉にある古い旅館のイメージもとり入れられている。この旅館は、宮崎監督が家族といっしょに訪れたところで、いまも朱に塗られた柱や壁が残っている。
スタジオジブリのひみつ

昭和初期の醤油店や、茅葺き屋根の農家に明治初期の仕立て屋の民家など、僕にとっては懐かしさを通り越して、ファンタジーの世界に近かった。僕の生活の中で、これまでに見てきた風景や使ってきたものとは、遠く離れているからだ。
だけど、そのなかでも、どこか落ち着くことができるのは、やっぱりこれが日本人に馴染む風景なんだと思った。日本人の帰る場所が、ここにあるのかな。

ジブリファンの人には、言うまでもないでしょうけども、絶対に抑えておかなければいけない建物が、武居三省堂。宮崎駿監督が、一番気に入っている建物です。
明治初期に創業した文具店で、建物は震災後に店舗併用住宅として建てられています。看板建築の形式で作られていて、千と千尋の街並みとも似ているわけだけれど、注目するところは建物のなか。
壁一面に敷き詰められた、商品を収納する棚。これは、まさに釜爺が薪をくべていた、油屋のボイラー室にそっくりですね。
この建物について、僕がなにを言ったところで青二才の戯言です。宮崎駿監督の綴った「私にとっての武居三省堂」をお読みください。

建物については、相変わらず「武居三省堂」が一番好きです。いいかんじの店です。ずい分せまくて、ウナギの寝床のような建物なのに、どうしてこんなに調和があるんだろうと思います。勿論、店として生きていた時は、もっと沢山の物や人で溢れ、今のようなたたずまいはなかったのかもしれませんが、奥ゆかしさを全体から感じます。前向きに生きるとか、積極的にとか、建てたり壊したり、買ったり捨てたりと忙しくやって来た世相の中を、よく残ってくれたものだとも思います。
 すぐ判ることですが、職人が手で造った建物です。ガラス戸も、外壁も、商品の為の棚も、すべて職人達の手仕事で造られています。工業製品を省力化して組み立てる現在の工法との決定的なちがいはすぐ判ります。職人の手間賃も安かったし、腕の良い人々がいたのでしょう。今、同じものを同じ手間で建てたら、材は特に良くないのに、たいへんな出費になってしまうはずです。手間賃が安いのは、職人達には不幸な事だったということと、仕事は確実に良かったというのも、人の世の皮肉というべきでしょう。

(略)

おそらく三省堂が畳にしてあるのは座売りのためだけではないはずです。家族、使用人を含めた多人数が、この店で暮らすために、フトンもしかれ、時には座卓が並んでハレの宴会もしたのでしょう。茶の間と台所を見れば判りますが、最盛期十六人もいたという人達が、一斉に食事をするのは不可能です。手の空いた者から、入れかわり立ちかわり、素早く食事をしたはずです。思い出したのですが、農家育ちの私の母は父の実家の食事風景にあきれかえったと言っていました。父の実家は、結構大きな町工場だったのですが、食事はてんでんバラバラにするし、お茶も店売りの粗末なものが多いしで、たいして豊かでなかった母の実家に較べても、不作法でゆとりのないものに映ったようです。

(略)

いつの間にか生活がすっかり変わってしまって、今では三省堂のような建物での生活は、どこかで判らなくなっているようです。夏はあついし、冬の寒さもすごいものだったでしょう。店の主も頑固な人だったからこそ、この建物を変えずに生きてたはずです。その分家の人は苦労をしたかもしれません。そう思っても、僕はこの三省堂を建て、その中で生き、亡くなっていった人を尊敬したいと思います。
 もって足ることを知っている……それが大事な徳目であった日々、おそらくこの建物が出来た頃には、既にその徳目は過去のものになりつつあったのでしょうが、それでも、東京にそんな気持ちが少しは残っていた証拠のような建物、それが私にとっての「武居三省堂」なのです。

「私にとっての武居三省堂」―宮崎駿

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