先輩ROCK YOU

先日放送された、日本テレビ系列番組『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』のスタジオジブリ特集を見逃した方も多かったんじゃないかと思い、文字に起こしてみました。

番組はとても面白かったんですけども、文字にしてみると臨場感の欠如からか、番組の印象ほど面白くなかったり、ジブリファンの方にとっては何度も見たことのある話になっているかもしれません。

バラエティ番組の賑やかさを思い浮かべて、想像力で補いながら読んでみてください(笑)。
最後に鈴木さんが話していた、好きな言葉がとても良かったです。

出演は、鈴木敏夫プロデューサー、宮崎吾朗監督、ジブリでプロデューサー見習い中の川上量生さんの三人です。



宮崎駿について

――(駿さんは)息子に人見知りはしないでしょ?

吾朗:
いや、ありますよ。
「コクリコ坂」の準備室があって、僕と何人かで絵を描いたりしてるじゃないですか。
そうすると、偶然来たみたいな感じを出して、僕の横に座ってるスタッフに話しかけるんです。僕には、絶対話しかけないんです。

鈴木:
他のスタッフに喋ってるんだけど、その内容は、吾朗君に喋りたいことなんです。

――なるほど! 間接的に話してんだ。直接、話したほうが早くないですか?

鈴木:
これはね、端折って言っちゃうとね、(宮さんは)親として果たすべきことをやってこなかった。

――ずいぶん端折りましたね(笑)。

鈴木:
仕事を理由にしてね、家を顧みない。そのウン十年でしょ。そりゃ、息子に向かって立派なこと言えないですよね。

――家にいないイメージですか? 子供の頃は。

吾朗:
いないですね。特にテレビシリーズやってたじゃないですか。『ハイジ』とか、『三千里』とか。もう、家に帰ってくるのは明け方とか。

――お父さんの作る作品見られてたわけですよね?

吾朗:
見てましたね。
見なきゃいけない。家族全員で見るんです。

――そういう儀式なんですね。

吾朗:
『ハイジ』の裏番組って覚えてます?

――日曜日の7時半ですよね。『クイズヒントでピント』じゃないですか?

吾朗:
いや、ちょっと違うんですね。
『宇宙戦艦ヤマト』なんです。僕、そっちが見たくって。

 

企画について

――まず企画があるわけですよね?

鈴木:
そういうのは無いです。
ジブリの最大の特徴ってね、企画書と予算書がないことなんです。

――それないと成り立たないじゃないですか。一番大事なことですよね(笑)。

鈴木:
『カリオストロの城』ってあったじゃないですか。
あれの企画書ってよく覚えてるんですよ。
宮崎駿が文章書いたんですけどね、一行なんですよ。

「一夜の惨劇」って。

――普通、企画書って物語の大まかなストーリー書くじゃないですか。

鈴木:
そんなことやってるから、つまんない番組になっちゃうんですよ(笑)。

――「一夜の惨劇」って鈴木さんが見るじゃないですか。それでイメージが浮かぶんですか?

鈴木:
それは浮かびますよね。
で、顔見てて、「あ、これはいけるな」ってなんとなく思ったりね。

――例えば、『トトロ』なんかはどうですか?

鈴木:
『トトロ』は一枚の絵だけですよね。
トトロがいて、女の子がいて、バス停で待っている、っていう一枚の絵です。

――ああ、この絵、小学生の頃からの謎だったんですよ。このシーンって、本編にないんですよ。ほんとうは、サツキがメイをおんぶしてるんですよね。

鈴木:
サツキとメイの合体なんですよ、これ。洋服、その他、ヘアースタイル。
で、ほんとの『トトロ』の物語って、サツキとメイの話じゃなかったんです。
ほんとは、サツキだけだったんですよ。

というのはね、『火垂るの墓』と二本立てだったから、「両方とも60分で作ろう」なんて言ってたのがね、高畑さんって人は、60分だって言ってんのに無視する人なんですよ。で、気がついたら、どんどん長くなってるんですよ。
この二人の関係を簡単に説明すると、高畑勲は宮崎駿の先生であり先輩、そして兄貴でありライバル。
どうも噂でね、『火垂る』が長くなっている、って聞いたみたいで。そしたら、宮さんが僕のとこに来てね、「鈴木さん、『火垂る』どうなってんの?」って。しょうがないからね、「88分ですかねぇ」って言ったら顔色変わるわけですよ。「なんで、俺が60分でやらなきゃいけないんだ」って。「高畑さんが88分なら、俺も80分代にする」って。
で、いろいろ喋ってるうちにね、ハッと宮さんが気がつくわけですよ、「そうだ、姉妹にすれば長くなる」って。
それで、60分がね、86分までいくんです。ライバル心なんですよ、これ。

――そのライバル関係がなかったら『トトロ』は全然違うことになってましたね。いまの話だと、宮崎駿さんのイメージの一枚の絵から出てきて、そこから脚本を作っていくんですか?

吾朗:
脚本は作らないんです。いきなり絵コンテから描き始めるんです。
要するに、言葉でストーリーを作らないで、絵でストーリーを作るって人なんです。

――漫画家の手法と同じ感じですね。

鈴木:
そう。連載漫画なんですよ。

吾朗:
だから、制作に入っても絵コンテはまだ完成していない。

――それって、どういうストーリーになるかってことが見えていない?

鈴木:
自分にも分からないし、もちろんスタッフにもわからないんですよ。

――それは、鈴木さんのプロデューサーという立場からすると、どきどきしませんか?

鈴木:
面白くてしょうがないですよ。
もう、生涯忘れないのは『ハウル』ですけどね。
絵コンテが出来たとき、突然僕の部屋にやってきてね、「鈴木さん、どうしよう」って。「何がですか?」って言ったらね、「映画が終わんない」って。

――天才ですね、それ(笑)。ヤバイよ、終わんないよ! ってことですよね(笑)。

鈴木:
『未来少年コナン』っていうのがあって、あれはNHKさんのほうから26本頼まれるわけですよ。
で、いろいろやっていったら、8話で「困った」って言い出すわけですよ。「終わっちゃった」って(笑)。

宮さんは、開き直るわけですよ、そこで。「だって、終わったんだからしょうがないだろう!」って。
それで、悩みに悩んで、宮さんのいないところでみんなで出した結論が、「高畑さんにやってもらおう」って。
実は、『コナン』の、9話と10話は高畑さんがやってるんですよ。

 

親子喧嘩の真実

鈴木:
『ゲド戦記』を作ったでしょう。
宮さんとして、堪えられなかったわけですよ。
「なんで、吾朗は俺に逆らって映画を作ったんだ」と。

――逆らって作ったんですか?

鈴木:
逆らって作ったんです。凄い大喧嘩ですよ。

それで、その思い至った元はね、「俺が悪かった」って。
どういうことかと言うとね、「家に帰らなかった。5歳の吾朗の側にいてやれなかった」って、反省するんですよ。
それで、『ポニョ』が出来るんです。『ポニョ』は5歳の男の子が主人公。あの宗介は、(モデルが)最初吾朗君なんですよ。で、その映画を作ることによって、吾朗君に謝罪しようって。
それで、企画をスタートするんです。

――(ポニョに)お父さんが出てこないっていうのはそういうことなんですね。

鈴木:
言い訳してるんですよ。

吾朗:
お父さんは仕事があるんだ、と。

鈴木:
面白いのは、最初そう言ってずっとやってたんだけど、一年くらい経つと忘れちゃうんですよね(笑)。
5歳ぐらいの、現実の男の子と出会ってね、「この子の為に作る」って気持ちに変わっちゃうんですよ。
で、吾朗のことをすっかり忘れちゃって(笑)。

――お父さんのやってきた仕事を継いでやっていこうと思ったのは、何でなんですか?
言い方が悪いですけど、越えられない天才の可能性が高いと思うんですよ。

吾朗:
ええ、無理でしょうね。
子供の頃は、自分の父親の作っているものを見て、アニメやりたいと思うわけじゃないですか。
でも、だんだんいろんなことが分かってくると、これは無理だと。

――そこから『ゲド戦記』をやろうと思ったのは?

吾朗:
最初、僕がやるはずじゃなかったと、僕は思ってるんですよ。

鈴木:
候補の人がいなくなっちゃったんですよ。どっか行っちゃったんですよね。消えちゃったんですよ。
それで、じゃあ吾朗君でやるか、ってことになってね。

川上:
ジブリって、声優さんとかもあまり使わないですよね。それで、題字とかも、鈴木さんが書いたりしてるんですよ。
手作りでやってるんですよね。だから、そもそもプロの人がやるってことに拘ってない。
それは、いろんな人の人生が投影されているわけじゃないですか。
だから、吾朗さんも、宮崎駿の息子に生まれたっていう物語を投影させるっていうことを、鈴木さんがやりたかったんじゃないかなって(笑)。

――鈴木さんの長期プランがあったんですね。

鈴木:
思いつきですよ。
だって、偉大な父の元で、なんの経験もないのに映画を作る。
これは、わくわくしますよね。

――やるほうにしてみたら、どうですか?

吾朗:
いや、なんかね、鈴木さんの話聞いてると、やれるような気になってくるんですよ。

鈴木:
あのね、『紅の豚』にこういう台詞があるんですよ。
「大事なのは、経験かインスピレーションか」すると、迷いなく豚(ポルコ)は、「インスピレーションだ」って。
要するに、経験は関係ないって言ったわけでしょう。

だから、あるとき『ゲド』のことで怒っていたからね、僕は宮さんに「大事なのは経験かインスピレーションか、どっちですか?」って聞いたんですよ。「経験だ」って言ったんですよ(笑)。

――『ゲド戦記』をそういう環境でやって、作り終えたときはどうでした?

吾朗:
二度とやらないと思って、終わってからしばらくジブリ美術館に隠れてたんですよ。
ずいぶん長いこと、こそこそしてましたよ。

――今の気持ちはどうなんですか? 『ゲド戦記』と『コクリコ坂から』二本撮られて、次をやりたい欲求に変わってきてますか?

吾朗:
二本目やると、こうやってやれば良いのか、って分かってくるっていうんですかね。
覚えたことって、やってみたくなるじゃないですか。

――川上さんは、一年こうやって鈴木さんに付かれて、どういう印象になっていますか?

川上:
(ジブリは)凄い苦しみの場所だと思っていたんですよ、作品生み出す。
でも、苦しんでるのは、人生を生きることに苦しんでいるんであって、作品を作ることに苦しんでいるのとは、ちょっと違うな、って。
普通だと、クリエイターって作品を作ることに命をかけてますよね。
ジブリの場合って、日本で一番のアニメの職人が作っている場所だから、当然命かけてるのかと思ったら、作品作ることには、実はそれほど命かけてないんですよね(笑)。

――生きることに命をかけてるんですね(笑)。なんだか、合点がいきました。

鈴木:
僕もいきましたよ(笑)。

 

好きな言葉

鈴木:
好きな言葉があってね、「どうにもならんことは、どうにもならん。どうにかなることは、どうにかなる」って。
あるお寺に行ったら、そういうことが書いてあって、それを写真に撮ってね、宮さんに見せたんです。そしたら、気に入っちゃってね。

とにかく、いじっててね、ダメだと思ったらすぐ引っ込めるんです。例えば、企画とか。早いですよ、やめるときは。いけると思ったものは、5分でも決まるしね。