戦国魔城

世の中に出ているスタジオジブリ作品は、数多くの企画の中から生まれた選ばれしもので、その裏にはボツとなった企画が山のようにあります。
ここでは、スタジオジブリ設立以前から現在に至るまでの高畑勲・宮崎駿両監督を始めとするボツ企画を掲載していきます。公になったボツ企画だけでこれだけあります。



『長くつ下のピッピ』

1971年頃に企画された、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品。宮崎駿を始めとするAプロダクションのスタッフたちはスウェーデンまでロケハンに行ったけれど、当時は無名だったため原作者から映画化の承諾を得ることができませんでした。
そのときに描かれたイメージは、後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便』で活かされています。また、当時描かれたイメージボードを収録した『幻の「長くつ下のピッピ」』が発売されています。

『頭の上のチッカとボッカ』

高畑勲監督が『床下の小人たち』を読んで、その話をアイヌに置き換えて考えられた、日常生活に小人たちが紛れ込むというもの。高畑勲・宮崎駿の演出で『屋根の上のチッカボッカ』というタイトルでも考えられていました。
宮崎駿監督はキャラクターデザインまで考えて企画は進行していきましたが、当時無名だった宮崎さんは、放送局からの受け入れてもらえず、この企画は頓挫してしまいます。

しかし、『頭の上のチッカとボッカ』の企画で漫画版を担当していた不二子・F・不二雄さんは、この作品を原案にして『ジャングル黒べえ』を描くこととなります。『ジャングル黒べえ』のアニメ版には、宮崎駿監督も携わっています。

『ユキの太陽』

ちばてつやの漫画。アニメーション化を検討するためのパイロットフィルムが1972年に製作されました。
宮崎駿監督が初めて監督として取り組んだ短篇です。アニメーション化されず、幻の作品となりました。
パイロットフィルムは、2013年12月から全国のイオンシネマにて期間限定で上映されています。

『もののけ姫』

1980年頃、宮崎駿監督によって『美女と野獣』と戦国時代をモチーフにイメージボードが描かれています。
1997年に実際に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通するだけで、ストーリーもデザインもまったく異なります。

『ルパンの娘』

1981年頃、アニメ評論家の岡田英美子との対談で語ったもの。主人公であるルパン三世の娘が、不二子の姪とコンビを組むという学園物です。

『ロルフ』

1981年頃に企画された、リチャード・コーベン原作のコミック。イメージボードが描かれていて『風の谷のナウシカ 水彩画集』に収録されています。このときのイメージが、『風の谷のナウシカ』の舞台設定やデザインの源泉となっています。

『戦国魔城』

1981年頃に企画された、日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。これまた宮崎駿監督によるイメージボードが描かれていて『風の谷のナウシカ 水彩画集』に収録されています。このときに、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』へ繋がる設定が多く生み出されました。

『NEMO』

1981~1982年頃に企画された、ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』です。企画には、高畑勲・宮崎駿がテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初から関わっていて、大量のイメージボードが描かれていますが、制作発表前に二人とも降板しています。映画自体はスタッフを変更し、1989年に公開されています。

『風の谷の一日』

1983年頃に企画された、ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎監督が提案しました。
しかし、予算の都合で実現しませんでした。

『アンカー』

1980年代半ばに、原作:夢枕、脚本:宮崎駿、監督:押井守、プロデューサー:高畑勲、という豪華布陣で検討された幻の作品。企画段階で宮崎監督と押井監督が、意見の相違により大喧嘩となって頓挫しています。

『突撃!アイアンポーク』

1985年頃、『宮崎駿の雑想ノート』から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていました。

『大東京物語』

ふくやまけいこの漫画を原作にアニメーション化を検討されましたが、現代には合わないと判断しています。

片渕須直版『魔女の宅急便』

当初、『魔女の宅急便』のアニメーション化は若手の演出家で検討されていて、片渕須直さんが監督候補になっていました。
しかし、片渕さんが書いたストーリー案が、宮崎駿さんにケチョンケチョンにダメ出しを食らうこととなります。
さらには、スポンサーが「宮崎駿作品でなければ出資できない」と退かなかったため、片渕さんが折れるカタチで監督は降板。演出補として本作に残りました。

『国境』

高畑勲監督が『おもひでぽろぽろ』の準備前に企画していたタイトル。満州に行ったきり行方不明になった兄を主人公が探しにいき、解放戦線の女性と出会った主人公が、日本という国が何をしているのか疑問を持ち始めるという内容でした。企画も具体的に進み始めていたけれど、天安門事件などの影響で流れています。

『墨攻』

古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。敵に包囲された都市を1人の墨者が防衛するというもの。押井守を監督に検討されたけれど、宮崎さんと意見が合わず頓挫しました。

『八百八だぬき』

杉浦茂の漫画『八百八だぬき』。高畑勲監督がタヌキを題材に企画を模索しているときに、宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーが提案したもの。しかし、高畑監督はこの企画案をまったく理解することができず流れています。後に形を変えて、『平成狸合戦ぽんぽこ』となりました。

『寄生獣』

岩明均の原作漫画を宮崎駿監督が気に入って、アニメーション化を検討したものの雲散霧消しています。

『方丈記私記』

作家・堀田善衛の『方丈記私記』を商業映画としてアニメーション化できないか考えていることを、『堀田善衛全集』のなかで明かしています。

『ぐりとぐら』

児童文学作家の中川李枝子さんの代表作である絵本『ぐりとぐら』も、ジブリでアニメーション化を検討したことがあります。
演出家を募り、絵コンテを描いて、信頼できるアニメーターまでつけて、準備班を用意しましたが、映像化は難航し頓挫しました。

長編版『On Your Mark』

1995年に宮崎駿監督が作ったCHAGE&ASKAのMV『On Your Mark』の完成時に、「長編の予告編だと思って見て欲しい。チャンスがあったら、かなりアナーキーな警官のコンビが色々やるというのも面白いなと。予告編ということで楽しんでもらえれば」と語っています。
当時、実際に長編化の打診もあったそうですが、実現はしませんでした。

長編版『毛虫のボロ』

「虫の視点から世界を描く」という企画で、毛虫が隣町まで冒険に出る物語。『もののけ姫』と同時期に検討されていました。このときの長編版はボツになったけれど、ジブリ美術館用の短編として2018年に完成しています。

『東京汚穢合戦』

宮崎駿監督が1997年に、NHKの『トップランナー』に出演したときに構想を語ったもの。
江戸時代の便所の肥やしを巡る物語。短編で、皆が笑えるような作品を作りたいとしながらも実現はしていません。

『ゴチャガチャ通りのリナ』

少女のための企画として、柏葉幸子が書いた児童文学『霧のむこうのふしぎな町』を原作にしたもの。企画は、早々に頓挫しています。

『煙突描きのリン』

架空の震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でも、そのプロットが展示されています。
かなり具体的に構想され、約1年間の検討の末にボツとなりました。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となり、主人公の「リン」の名は同作の登場人物に再使用されています。

細田守版『ハウルの動く城』

2000年当時、スタジオジブリは若手の育成に力を入れており、細田守監督を東映アニメーションより招聘し『ハウルの動く城』を制作する予定でした。ところが、製作上の行き違いから細田版の企画は頓挫してしまい、宮崎駿監督によって作られました。

『夏目漱石&芥川龍之介の探偵モノ』

明治の文豪・芥川龍之介がまだ学生で、探偵になるという話。夏目漱石は龍之介の相談役で、とんちんかんな推理するという、笑える映画が作りたいとしながら、動き出してはいません。

『ポルコ・ロッソ 最後の出撃』

『紅の豚』の続編として、宮崎駿監督の中に構想だけはあるとのこと。良い映画を作る自信はあるそうです。

宮﨑駿版『ゲド戦記』

宮崎駿監督は『ゲド戦記』の古くからのファンであり、1980~90年代に出版社および原作者に対し、二度映画化の打診をしていて、そのときは無名だったため断られています。
その後、2000年代に入ってから宮崎監督の映画が原作者ル・グウィンにも知られることとなり、「もし『ゲド戦記』を映像化するとしたら、OKを出せるのはあの人だけ」とアプローチを受けたものの、このときの宮崎監督は既に本作に対する当時の情熱を失っており、紆余曲折の末 宮崎吾朗監督により映画化されることとなりました。

『子守り唄の誕生』

赤坂憲雄の著書『子守り歌の誕生』を原作にしたもの。高畑勲作品としてアニメーション化できないか、2007年2月から2008年4月の14か月間にわたり企画が検討されたけれど、実現はしませんでした。

映画版『山賊のむすめローニャ』

アストリッド・リンドグレーンの原作小説『山賊のむすめローニャ』は、宮崎吾朗監督の第二回目の劇場作品としてスタジオジブリで作られる予定でした。実際に企画は動き出し、吾朗監督も東欧でロケハンをしています。本格的な準備作業に入ったものの、映画作品としてまとめることが難しく頓挫してしまいました。
このときは、企画をまったく変えて『コクリコ坂から』が作られることになります。

その後に、NHKでテレビシリーズとして、全26話で構成された『山賊の娘ローニャ』が作られました。

『ぼくと「ジョージ」』

『借りぐらしのアリエッティ』の制作前、鈴木敏夫プロデューサーは小説『ぼくと「ジョージ」』の映画化を検討していました。
しかし、乗り気じゃなかった宮崎駿監督が、それをひっくり返すためにメアリー・ノートンの小説『床下の小人』を提案し、『借りぐらしのアリエッティ』が作られることになりました。

『平家物語』

高畑勲監督は『平成狸合戦ぽんぽこ』の企画以前から『平家物語』を作りたがっており、検討されたものの通常のセルアニメの技法では、鎧を着た武者が入り乱れる合戦シーンなどは、作画・美術・彩色に手間がかかり過ぎて実現不可能と判断し、企画は頓挫しています。2000年代初頭に再び検討されたものの、このときは作画を担当する田辺修が人を斬り合うシーンを描きたくないという理由で反対。そのため、『かぐや姫の物語』が作られています。
後に、スタジオポノックで短編として制作を予定していましたが、高畑監督の逝去により企画は消滅しました。

『ダンジョン飯』

宮崎吾朗監督作品の企画として、川上量生さんが提案したもの。
ダンジョンの中で空腹になった冒険者たちが、化け物を美味しそうに料理するというグルメ漫画が原作。ジブリ作品では料理が美味しそうに出てくることから、素材がモンスターになると面白みが増すという狙いがあったものの、吾朗監督がRPG作品をやったことがないため、感情移入できず企画は中止になりました。

『高崎山のベンツ』

こちらも、宮崎吾朗監督に川上量生さんが提案した企画。
大分にある高崎山という猿の群れが住む山が舞台。その高崎山の伝説のボスザル・ベンツを主人公に、猿が織り成す任侠アニメを提案したものの、吾朗監督はまったく乗り気を示さずボツとなっています。

『後醍醐天皇』

鈴木敏夫さんは、後醍醐天皇をテーマにした映画を検討していました。後醍醐天皇の登場で日本の価値観がぐるっと大回転したことから、そのときいったい何が起きたのか。それを描いたら面白いものになるだろうと思ったそうです。しかし、宮崎駿監督が乗り気でないため、流れています。

『キップをなくして』

池澤夏樹の小説『キップをなくして』をジブリで映画化できないか検討していることを鈴木敏夫さんが2019年のインタビューで語っています。
山手線でキップをなくした子が東京駅に集められ「駅の子」として電車通学の子供の安全を守るという物語。いろんな子供が集まってきて、勉強できる子が下の子に教えたり、いじめで不登校になった中学生が居場所を見つけたり、成長の姿が描かれており、生と死の問題もわかりやすく教えてくれる名作です。

クローディアの秘密

TOKYO FMのラジオ『ジブリ汗まみれ』にて鈴木敏夫プロデューサーが、カニグズバーグの『クローディアの秘密』を映画化したいと話しています。
宮崎駿監督にも、映画化の打診をしたといいます。また、小説では物語の舞台がメトロポリタン美術館であることから、上野の美術館かジブリパークを舞台にして作るのも面白いとしています。宮崎監督も自著の中で、上野の国立博物館を舞台に映画化できないか試みたことがあると話していたことがあります。今後、実現するか期待です。

松山城の恋物語

宮﨑駿監督と鈴木敏夫さんは松山城を散歩しながら、ここを舞台に高校生の恋物語をやるのも面白いと構想を語りました。昔は、お城は恋が生まれるところだったので、それをちゃんとやると面白いと話しています。

幻の「長くつ下のピッピ」
もしも、『長くつ下のピッピ』がアニメーションになっていたら。
1971年当時の高畑勲の字コンテ、宮崎駿のイメージボード、小田部羊一のキャラクター・デザインなどを一挙収録

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