紅の豚「アニメーションは子どものためにある」と語る宮崎駿監督ですが、『紅の豚』はオトナ向けに作られた作品です。
本来、この作品は宮崎監督が趣味で描いていた漫画『飛行艇時代』を、短編アニメーションにするため作られたもので、劇場公開するための長編作品ではありませんでした。



始まりは15分の短編作品

短編企画として始まった『紅の豚』が、どのような過程を経て長編作品になったのでしょうか。

企画は、高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』を製作時までさかのぼります。このときのスタジオジブリは、スタッフを雇用化し始めており、次回作を間を空けずに作らなければいけない状態でした。

しかし、この間、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』と立て続けに作品を発表し続けていた宮崎駿監督は、長編作品を作ることに疲れており、15分程度の短編アニメーションを思いつきます。

紅の豚 飛行艇時代

それが、自ら漫画連載で描いている『飛行艇時代』でした。宮崎監督が趣味として描き、短編ものとくれば、気分は楽なものになる。それを仕事として成立させるため、鈴木敏夫プロデューサーは、JALの機内上映作品にできないかと持ち掛けます。飛行機の話なので、飛行機会社に頼もう、という発想だったそうです。

俺ひとりでやれというのか

当時のJALには、鈴木さんと親交のある方もいたため、『紅の豚』のプロジェクトは進んでいくこととなります。

ところが、このときスタジオジブリで作っていた『おもひでぽろぽろ』は制作が遅れに遅れ、1990年12月完成予定のものが、半年も延びてしまいました。

このあおりを受けたの『紅の豚』で、制作は当然遅れることになり、宮崎監督はたった一人で準備室を立ち上げることになります。

スタッフをはじめ鈴木プロデューサーは、当然『おもひでぽろぽろ』に関わっており、『紅の豚』に向き合う余裕はありません。
そんなある日、鈴木さんのデスクに、一枚の書き置きが残されたそうです。

「紅の豚、俺ひとりでやれというのか」

大きな字で書かれていたそうですけど、鈴木さんも制作の追い込みから宣伝の準備で大忙し。かまっている余裕はありません。その書き置きは無視したそうです。

救出シーンで終る物語

『おもひでぽろぽろ』の公開後、スタジオの現場は2週間休みに入りました。その期間に、宮崎監督は『紅の豚』の絵コンテを描きます。
15分という短編ということもあり、順調に進んでいったそうです。
しかし、その絵コンテを読んだ鈴木さんは悩みました。主人公がいきなり豚として登場する。しかも、それが当たり前のこととして受け入れられていて、誰も不思議に思っていない。これでは、観客が置いていかれると思ったそうです。

そして、物語は、ポルコがマンマユート団から子どもたちを助けるところで終わっていました。つまり、完成版の冒頭部部だけで完結の予定だったのです。

紅の豚

次々と延びていく絵コンテ

それを見た鈴木さんは、呆気にとられてしまいます。わけのわからない豚の登場に、あまりにも短い物語。これでは作品を成立させるのは難しいと考え、ポルコが豚であることに触れてくれと頼みます。

すると、宮崎監督は怒りながらも、絵コンテを描き足していきました。こうして、ジーナが登場することになり、ポルコが人間だったときの写真を見るシーンが生まれます。このときに、絵コンテは30分まで延びていたそうです。

しかし、これでもお客は納得しないと考えた鈴木さんは、「ポルコが豚になった理由を描いてください」と頼みます。宮崎監督は、「またそんなことを言う!」と文句を言いながらも、ポルコが人間だったときに飛行機に乗るシーンを追加していきました。
こうして、絵コンテは60分まで延びていきます。

紅の豚

ここで鈴木さんは、短編の枠組みに入りきらないと考え、さらに長くして劇場用の長編作品にしないかと提案します。
こうして、宮崎監督は絵コンテをさらに描き足して、93分の長編作品として作られることになったのです。

飛行艇時代 映画『紅の豚』原作
宮崎駿監督が映画『紅の豚』の制作に先駆けて描いたマンガと、映画資料を掲載。92年刊の増補改訂版。

≫Amazonで詳細を見る
≫楽天で詳細を見る


ジブリ情報配信中



関連記事