宮崎駿 風の谷のナウシカ2013年に引退宣言をした宮崎駿監督ですが、この度、長編作品を作ることが「終わらない人 宮崎駿」で明かされました。
しかし、こうなることは、宮崎駿監督の身近にいた人ならば、予測できたことかもしれません。否、身近なじゃなくても、ファンならば驚く出来事ではないでしょう。そう、宮崎監督は「引退宣言」のオオカミ少年として有名なのです。



『ルパン三世 カリオストロの城』で干された宮崎駿

宮崎駿監督が「引退」を口にしたのは、『風立ちぬ』のときが初めてではありません。若い頃から、口癖のように、と言うと大げさかもしれませんけども、何度も引退宣言をしています。

それは、宮崎駿監督のストイックな性格がそうさせるようです。長編製作というのは、「次があると思ってやってはいけない」と考えて、一作一作に挑むことから、作り終えたころには、疲労困憊、満身創痍、精疲力尽のごとく、もう次に挑む気力が失われてしまうようです。

一点集中型ゆえに、「この作品が完成したら、自分の監督生命が終わってもいい」と考えて、目の前のことに全力投球するのが宮崎駿さんです。

宮崎さんの監督人生は、TVシリーズの『未来少年コナン』から始まり、映画では『ルパン三世 カリオストロの城』でデビューとなります。この作品を作り終えたときから、宮崎さんは「引退」を口にするようになりました。

いまでこそ名作とされ、愛されている作品ですけれど、公開当時は興行が振るいませんでした。映画業界というのはシビアなもので、一回コケると監督生命が終わってしまうことも珍しくありません。

『カリ城』は、当時の配給収入で、1.5億円ほどでした。ところが、製作費は3億円くらいかかっています。
こうなると、客を呼べない監督というレッテルを貼られてしまいます。宮崎監督は、監督生命を絶たれる窮地に追い込まれました。

現在の引退宣言とは違いますが、このときから宮崎監督は、「もう、アニメーションを辞める」と口にします。児童文学が好きだった宮崎監督は絵本作家や、学生時代から目指していた漫画家になろうか、と考え始めます。

巡ってきた長編製作のチャンス

そんなときに、当時徳間書店のアニメージュにいた鈴木敏夫さんから、長編の企画を持ちかけられます。しかし、このときは、企画が通りません。その理由のひとつが、「原作がないから」でした。そこで鈴木さんは、宮崎監督にアニメージュで漫画を連載しないか提案しました。

そして、漫画を描き始めるわけですが、連載から一年程で映画化の話が決まります。いまでこそ宮崎作品は二年余りの時間を用いて作られますが、このときの製作期間は約9ヶ月しかありません。当時の鈴木さんは、充分な資金と時間を用意したつもりでいたそうですが、常に時間に追われることになります。後に、「製作は順調に遅れています」という、不可思議な宣伝文句が使われることになりますが、このときから既に順調に遅れています。

皆さんご存知のとおり、怠けていて製作が遅れるわけではありません。
宮崎監督は、朝の9時に出社して、午前4時まで働くという超人でした。このとき、宮崎監督は42歳。意欲に満ち溢れています。この仕事ぶりに、最初のうちこそ付き合っていた鈴木さんも、次第についていけなくなったそうです。

宮崎監督は、土日も休まず仕事を続けました。もちろん、祝日も休むことはありません。しかし、これだけ働いているのに、時間が足りません。宮崎監督は「非常事態宣言」と題し、このことをスタッフに説明します。誰よりも早く出社して、みんなが帰るまで仕事をするので、みんなにも付き合ってほしい、と頼みました。

さらに、宮崎監督は、ご飯を食べる時間すら勿体ないと考えていたそうです。アルミの弁当箱に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたご飯を、箸で真っ二つに切って、右側が昼ごはん、左側が夜ごはんとわけて、5分程で駆け込みます。その時間以外は、ずっと机の前にかじりついて仕事をしていたそうです。

朝の9時から始まり、夜中の4時まで、黙々と作業をします。そして、午前4時に帰宅して、また5時間後に出社という日々が続いていきました。「イヤァ、鬼神のごときとは正にあれだな」という声が聞こえてきそうな仕事ぶりだったに違いありません。

公開一週間前に完成

しかし、そこまでやっても、宮崎監督が理想とする『風の谷のナウシカ』を完成させるには、時間が足りません。公開の直前になってもスケジュールが遅れていることから、主要スタッフを集めて会議をすることになりました。

『ナウシカ』でプロデューサーを務めていたのは、高畑勲さんです。宮崎監督は、製作が遅れていることについて、どのように突破するべきか、まずプロデューサーに意見を求めました。

口の重い高畑さんは、なかなか口を開きません。重い空気が流れる会議室。沈黙。スタッフも、高畑さんが何を喋るのか、息を呑んで見守ります。
そして、ようやく口を開いた高畑さんは、こう言いました。

「間に合わないものは、仕方がない」

皆、手に汗握り、続けて何を言うのか待っています。しかし、その一言で終りました。
またも、沈黙の続く会議室。みんなが黙るという、会議が続きます。

宮崎監督もそれを受けて、口を開きます。

「プロデューサーがそう言うなら、仕方がありません。この会議は解散しましょう」

こうして、沈黙の会議は終わりました。

スケジュールを間に合わせるために、宮崎監督は何をしたかというと、絵コンテを大幅に変更することになります。
当初、『風の谷のナウシカ』のラスト付近で、巨神兵と王蟲の戦闘シーンが予定されていました。王蟲は巨神兵に殺されるという、展開だったそうです。しかし、その乱闘シーンを成立させるためには、かなりの時間を必要とするため、宮崎監督は絵コンテをすべて描き替えて、現在のものになります。

監督をすると友人を失う

そして、映画が完成したのは、なんと公開から1週間前のこと。
当時は、そこから、フィルムをプリントして、日本全国に送ることになります。ほんとうに、ギリギリの完成でした。

完成からしばらく経ったとき、宮崎監督は「もう、二度と作らない」と口にします。製作期間中、宮崎監督が休んだのは、元日の一日だけ。精根を使い果すその仕事ぶりでは、無理もありません。

しかし、このときの辞める理由は、疲労によるものだけではありませんでした。宮崎監督は、友人を失うことに苦痛を感じていたようです。
クオリティの高い作品を作るためには、監督という立場上、スタッフに対して嫌なことも言わなきゃいけません。
人間の才能というのは、人それぞれ違います。その才能の有無を、相手に突きつることも監督の仕事になります。人間関係を消耗させながら、作品のクオリティを上げていく。その繰り返しに、宮崎監督は耐えられなくなりました。

こうして、『風の谷のナウシカ』を作り終えて、「引退宣言」をするわけですが、例によって例のごとく紆余曲折を経て、スタジオジブリの第一回作品となる『天空の城ラピュタ』を作ることになるのです。

よもや、70歳を過ぎるまで現役監督でいることを、このときの宮崎さんは想像もできなかったことでしょう……。

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