『思い出のマーニー』杏奈 『おもひでぽろぽろ』タエ子

『思い出のマーニー』で作画監督を務めた安藤雅司さんは、元々スタジオジブリのスタッフとして活躍しており、大先輩であるアニメーターの近藤喜文さんをたいへん尊敬していたといいます。
作画において多くの影響を受けており、人物の捉え方から動作まで、近藤喜文さんを彷彿させる作画になっていると、鈴木敏夫さんは指摘します。



鈴木さんは『思い出のマーニー』を観たとき、近藤喜文さんを思い出さざるを得なかったと言います。47歳にして亡くなってしまった、天才アニメーターの近藤さんとは、どのようなアニメーターだったのでしょうか。
「ジブリ汗まみれ」で語られた、鈴木さんによるお話を文字に起しました。

『思い出のマーニー』は近藤喜文のアニメーションになっている
主人公・杏奈は、『おもひでぽろぽろ』のタエ子

『思い出のマーニー』杏奈 『おもひでぽろぽろ』タエ子

こないだフランスに出張で行ってたんですけど、ちょうど『思い出のマーニー』の制作とぶつかって、ほぼ出来上がったものをフランスで全部観たんですよ。観ながら、ちょっとビックリしたんです。特に、映画の後半。杏奈って主人公がいるんですけど、この杏奈がですね、『おもひでぽろぽろ』のタエ子ちゃん、小学校5年生の……そっくりなんですよね。

『おもひでぽろぽろ』っていうと、近藤喜文さんでしょ。なんで、タエ子ちゃんが出てくるんだろうって考えたら当たり前で、安藤雅司っていうのがいて、『マーニー』を作るとき、麻呂の重要な右腕として、安藤雅司に頼むわけですけど。この、安藤雅司っていうのが、近藤喜文さんをたいへん尊敬していて、それで彼がやるとどうしても近藤喜文(の描き方)にしちゃうんですよね。映画全編がだいたいそうなんですけど、近藤さんなんですよ。

日本の漫画もアニメーションもそうなんだけど、平面的なんですよね、キャラクターが。二次元っていうのか。ところが、近藤さんの大きな特徴っていうのが、立体的なんですよ。人物を立体で捉えて、その立体の人物がどう動くか、どういう芝居をするか、っていう大きな特徴があって。
近藤喜文さんっていうのは、宮崎駿、その他、日本のアニメーターが作ってきたキャラクターと、まるで違うわけなんですよ。それで、その遺志を継いでるのが、この安藤雅司。故に、『マーニー』は近藤喜文のアニメーションに非常に影響を受けているっていうのか、そこに近藤さんがいるみたいな映画でね、ぼくは非常に変な気持ちに襲われるんですけどね。

2年くらい前からですか、いわゆるブルーレイっていうのをやってきて。いろんな作品をブルーレイにするっていう。そうすると、もう1回原板を作り直さなきゃいけなかったんで、最初の『ナウシカ』から順番に観ていったんですけど、観ていくなかで、いちばん驚いたのが『耳をすませば』で。つまり、近藤さんの監督作品。いわゆる、キャラクターのお芝居がほかの作品と全然違う。凄いよく出来てるんですよ。あらためて観ると、近藤さんって凄かったんだなって、思わざるを得ない。その遺志を継いでるのが、今回の『マーニー』なんですよ。

近藤喜文は、時間と空間を歪めない

日本の漫画って、時間と空間を自由自在に曲げちゃうっていうか、『巨人の星』って漫画で説明するといちばん分かりやすいんですけど。お父さんの一徹がいて、そして飛馬、それでお姉さんの3人がいて、よくちゃぶ台でご飯を食べてるんです。小さな部屋なんですよね。4畳半くらいだと思うんですけど。貧しかったから、まだ飛馬が小さいころで。
そうすると、お父さんがよくケンカするんですね、その家で。ケンカしているうちに、4畳半の部屋が、50畳くらいになっちゃうんですよ(笑)。広くなっちゃうんです。それで、ケンカが収まると、また4畳半に戻る。これが、空間を自由に変えちゃうってやつなんですけど。

それと、もうひとつ。星飛馬のやつで、ボールを一球投げる。そうすると、時間にすると、1秒にもならないくらいのスピードでしょう。それが、なんとテレビの1話でたった一球しか投げないっていうね(笑)。これも、時間を捻じ曲げるってやつなんですけど。この時間と空間を自由自在に、ムチャクチャにするっていうのは、日本の漫画・アニメーションの大きな特徴。これを見て、世界の人は、「何なんだこの日本って国は」ってみんな不思議がってるんだけれど。近藤さんは、時間と空間を歪めない人なんですよ。

さっき、キャラクターを立体として捉えると言いましたけど、それと同時に時間と空間を歪めない。これも、近藤さんの大きな特徴。そういうことで言うと、やっぱり宮崎駿がやってきたことと、どうも全然違うんですよね。とはいえ、彼は上手かったから、特に『未来少年コナン』なんかでは、非常に漫画的で面白いシーンを近藤さんにやってもらう。そこがまた、成功してるんですけどね。凄い高いところから飛び降りて、普通だったら死んじゃうのにね、なぜか地面に飛び降りても笑って誤魔化すっていうシーンがいっぱいあるのが、『未来少年コナン』の特徴なんですけど。そういう漫画をやらせても上手かったんですけど。一方で、日本以外、特に西洋で作られてきたアニメーションの伝統も出来る人だったんですよ。どこで学んだんですかね、近藤さんって人は。

『思い出のマーニー』は、近藤喜文に捧ぐ作品

最初、近藤さんって人は、宮崎駿にくっついていろいろやってたんですけど、そういうのに同じ考えを持っていた高畑さん。どうしても、近藤喜文とやりたいってことで、ぼくの知っている限りで言うと『赤毛のアン』、これは今までの名作アニメと何が違うかって言ったら、そこですよね。それと、『じゃりン子チエ』。それから、ジブリ作品でいうと『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』。いろいろやってくわけなんですけど、近藤さんっていうのは、それまでの日本のアニメーションを変えちゃった人なんじゃないかなっていう。それは、よく覚えてますね。

ともあれ、この『思い出のマーニー』を観て、ぼくは近藤喜文を思い出さざるを得なかったっていうのか。だから、ぼくね、プロデューサーの西村っていうのがいるんですけど、『思い出のマーニー』の頭に文字を1個入れたらどうかって言ったんですよ。それは、何かっていったら、「近藤喜文に捧ぐ」。それが、いちばん相応しい作品なんですよ、たぶん。