白蛇伝宮崎駿監督が衝撃を受けてアニメーターを志すきっかけになった作品『白蛇伝』。本作は、1958年に劇場公開された日本初のカラー長編アニメーション作品です。
現在NHKで放送中の朝ドラ『なつぞら』でも、『白蛇姫』というタイトルが出てきましたが、もちろん『白蛇伝』をモデルにしています。



ドラマの中で、『白蛇姫』の予告編のなかで東洋動画の社長・大杉満が求人をかけていましたが、あれも実際の『白蛇伝』の予告編をモチーフにしたものです。
それでは、『白蛇伝』がどのような経緯で制作されたものかご紹介します。

東洋のディズニーになる

東映動画の大川博社長は、『白蛇伝』の予告編で演説をうち「私は東洋のディズニーになります」と宣言します。さらには、「向こう10年、1年に1本の長編映画を作る。我こそはと思う人は、どんどん来てください」と社長が自ら求人をかけてしまったのです。

このとき、高畑勲監督は翌年の東映動画入社が決まっていたそうですが、やはり予告編は見ていたといいいます。
そして、宮崎駿監督は高校生のときに『白蛇伝』を劇場で観ることになり、衝撃を受けてアニメーターを志すようになったのです。

大川社長は、「東洋のディズニーになる」という野望を持って、東映動画を作りました。
この当時は、日本の映画が海外に受けることもなかったし、日本人の多くが洋画を観ていたことに大川社長の打った手がアニメーションでした(当時は漫画映画と呼ばれています)。アニメーションであれば、広く海外にも受け入れられると考えたのです。

元々『白蛇伝』の企画は香港から持ち込まれたものですが、大川社長は中国を題材にしたものを作れば、中国に売り込むことができると目論み、香港の下請けとしてでなく、独自でアニメーションを作ることを考えつきます。

この当時は、大きな興行収益を上げるアニメーションはディズニー映画のみだったので、日本においてもアニメーション映画製作の体勢を整えることができれば、将来的には大きな産業になるのではないかという、経営者としての予測もあったようです。

大塚康生・奥山玲子らが入社

こうして動き出した『白蛇伝』の企画でしたけど、このときはまだ長編アニメーションを作るだけの製作基盤がありません。
この当時、最大規模で作られていたアニメーションといえば、1945年製作の白黒作品『桃太郎 海の神兵』でした。この作品が74分です。『白蛇伝』はフルカラーで2時間規模の長編を目指していました。

桃太郎 海の神兵

そこで東映は、このとき負債を抱えていた「日本動画映画社」を社員ごと買収し、「東映動画株式会社」へと商号変更させます。こうして、東映動画(現在の東映アニメーション)は誕生しました。これが1956年(昭和31年)の出来事です。

そして、『白蛇伝』に向けた手慣らしの意味も込め、短編アニメーションの『こねこのらくがき』が作られます。

山本善次郎、大工原章、森康二

このとき、日動を買収したことで東映動画は、山本善次郎さんや大工原章さん、森康二さん(『なつぞら』の仲努のモデル)など優秀なアニメーターを手に入れました。しかし、それでも長編作品を作るには、まだまだアニメーターの数は足りません。

大塚康生

この頃、東映は動画スタジオを建設しており、それと同時にスタッフの養成も始めました。美術大学などから、アニメーターの素質がある人間を採用していきます。そして、大塚康生さん(『なつぞら』の下山克己のモデル)もこの時期に東映動画に入社することになったのです。

1957年(昭和32年)、こうして人数の揃ってきた東映は、処女作『こねこのらくがき』を完成させます。東映1期生だった大塚さんは、この作品に動画マンとして参加しました。

奥山玲子

『なつぞら』の主人公・奥原なつのモデルとなった奥山玲子さんも、この時期に東映動画に入社しています。ちなみに、奥山さんは東映2期生。
但し、奥山さんは元々アニメーションに興味があったわけではなく、叔父の紹介で東映動画の求人を知って応募することになります。面白いことに、「動画」というのを「童画」のことだと勘違いしていたらしく、絵本の仕事をするものだと思っていたそうです。
面接でいきなり中割りを書かされて驚いたそうですが、絵心があったため採用されることとなります。

ちなみに、後に宮崎駿監督と結婚する大田朱美さんもこの時期に入社して、『白蛇伝』に動画として携わっています。

原画は森康二と大工原章のふたりだけ

1957年(昭和32年)6月末、いよいよ『白蛇伝』の制作が正式に発表されました。この年に、東京の東映大泉撮影所の敷地内に動画スタジオが完成し、新宿にあった東映動画は同スタジオに移転します。

東映動画

『白蛇伝』の作画は、1957年12月10日に開始されました。このときの動画マンは、約30名。それも、ほとんどが新人のアニメーターだったといいます。原画を務めたのはなんと、森康二さんと大工原章さんのふたりだけでした。

いくら腕の立つアニメーターといっても、長編アニメーションの原画を二人だけで務め、動画の指導や修正をこなしていくのは限界があります。

東映動画

そこで、この映画では「セカンド」と呼ばれる役職が設けられました。
仕事の内容は、原画のクリーンアップ、原画のあいだの難しいシーンをできるだけ描いてから動画に回すこと、動画完了後の細部のチェックなどです。
このセカンドには、大塚康生さん、坂本雄作さん、紺野修司さん、喜多真佐武さん、寺千賀雄さん、中村和子さんの6名が選ばれています。

こうして『白蛇伝』は、それぞれがそれぞれの役割を懸命にこなし、製作期間わずか8ヶ月で完成することになります。

白蛇伝

1958年10月22日に公開された『白蛇伝』は、日本初の「長編色彩漫画映画」ということもあり、歓呼の声が上がったといいます。
そして、ちょうどこの頃、東映動画に内定の決まっていた高畑勲さんや、当時まだ17歳だった高校生の宮崎駿さんが、様々な想いをもってこの作品を観ていたのです。

大川博社長が「東洋のディズニーになる」と宣言して生まれた東映動画は、『白蛇伝』という大きな種を蒔きました。
後に巨匠と呼ばれる高畑勲・宮崎駿両監督を始め、才能ある人間が東映動画を通って、その芽は至るところで開花していきます。

現在のスタジオジブリの活躍にいちばん喜んでいるのは、大川社長かもしれませんね。

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