借りぐらしのアリエッティ米林宏昌監督の長編アニメーションデビュー作『借りぐらしのアリエッティ』は、企画と脚本を務めたのは宮崎駿監督です。
いちばん最初に『アリエッティ』の原作である『床下の小人たち』のアニメーション化を企画したのは、宮崎監督がまだ20代のころ。先輩である高畑勲監督と一緒に、どうにか映画化できないか模索していたといいます。



その当時は、時代と合っておらず、映画化は諦めることになります。しかし、それから40年余りの時間が流れて、世代を超え、米林監督によって作られることになりました。一度埋もれた企画を、掘り起こしてまで描きたかったこととは、何だったのでしょうか。

宮崎駿監督が、原作『床下の小人たち』の企画を提案した理由について語っています。

『借りぐらしのアリエッティ』の原作に惹かれた理由

宮崎:
高畑監督とよく、20代のときにそういう話をしてましたが、そのときにアニメーションを描いているのは、もの凄くよく知られている名作ものとか、要するにオリジナリティのあるものは拒否するっていう。それはお客が来ない。同時に、子供のものは、じゃりものであるって。親が、「それなら知ってるから、行ってきなさい」って企画じゃないとダメだっていうのが、業界の常識だったんですよ。そこに、風穴を空けるときに、児童文学とか、いろいろなものからアニメーションは作り得るんじゃないかって。そのまま作ろうってことじゃないけども。そのときに、小人ものっていうのは、森の小人がどんひゃらひゃ、っていうようなトンガリ帽子の小人じゃない、ノートンさんの『床下の小人たち』っていうのは、非常に新鮮に自分は感じていたんで、そういうものが映画にならないだろうかって。でも、企画は絶対通らないだろう、というふうに思ってたんですけどね。そのときが切欠だったと思いますけど。

設定を現代日本に変更した理由

宮崎:
それは、今の日本を舞台にしなきゃ、お客さんが来てくれないですよ。原作はイギリスですけど、無知蒙昧として他国の文化に対して、僕らの若いころよりはるかに、憧れも好奇心もないんですよ。知ってるのは、自分の生活圏のことだけ。テレビに映るだけど、通販の本に入ることだけ。そのくらい、世界が狭くなってますから。

もう一回、自分たちが住んでいる、この国のいろんな古い屋敷とか、その中身とか、縁の下だから壁の間とか、そういうところを「イギリスに行ってやってこい」っていうのは無理ですから。日本のほうが、やれる可能性はあるだろうと思ったからですね。でも、相変わらず、無知のままだと思いますね。これは、別にスタッフを謗ってるんじゃないくて、今の日本の国のありようのなかに、根本的に好奇心の欠けているところがあると思いますよ。

タレントの私生活がどうのこうのという好奇心じゃなくてね、人が暮らしてきた歴史とか、ものを作るとか、それを使うとか、食べるとか、自分たちの先祖のことも、あるいは同時に今の日本の中で、ちょっと離れたところでは、まだやっているような生活についても、ほんとうに好奇心を失っていると思います。

好奇心を持っているようだけど、すぐ思っているのは、そこで温かい人と触れ合いたいとかね。そういう、情けない好奇心であって、自分たちで映画を作る土俵を狭くしている。SFの船の中なら作れるって、それはそういう映画をいっぱい観たからですよ。『ブレードランナー』ふうに東京の街を見ることなら出来るって、それはそういう映画を観たからですよ。トップバッターにならなきゃいけないのに、そういうことに関しては、非常に努力が足りないと思いますね。

僕が、『床下の小人たち』の舞台を日本に持ってきたっていうのは、まだそのほうが作りやすかろうっていう。まだ何も知らないんだから、突然イギリスに一ヶ月くらいロケハン行ったって、何もわかりゃしないからね。そんなことより、自分の暮らしてきた生活を考えろって。(生活を)見てないんですよ。頭にくるんですけどね。
でも、見るチャンスはあるから、そこで自分たちで発見して、ローンで苦しんでいるように、人間にたかって生きている人たちですから、『床下の小人たち』っていうのは。

生産するより消費が多い人生は、小人たちと同じ

生産するより、使うほうが多い人生を選んでいる小人たちというのを、自分たちの気持ちの中に引きつけて、風前の灯となりながら生きているというのは、まさに自分たちと同じだから。そういうつもりで、この映画を作りなさい、っていうふうに思ったわけですね。

『ハリー・ポッター』みたいなかたちで、映画資本のなかで賑やかにドンドンってファンタジーは、イギリスは金融バブルで景気が良かったときに、バーッと回ってきたもので、その日以前の暗澹たる児童文学と違うんですよね。
それでも、50年代には、ノートンのころはまだ希望を語ろうという努力があったんだけど。そのあとは、ほんとうに希望のない現実を、どういうふうに生きていくのかっていう、そういう児童文学の歴史があったんですけど、これで金融破綻以来、イギリスの児童文学がまた変わるだろうと思いますけど、そうやって見ていくと、ずいぶん前の作品なのに、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』が、今を作るときにヒントになると思ったんです。