高畑勲高畑勲監督が、少年時代を過ごした岡山市で講演会をおこない、「憲法9条は(戦争をしないための)最後の歯止めとして変えてはいけない」と訴えました。講演会は、戦後70年に合わせて同市などが主催。高畑監督は1943年から54年に岡山県立高を卒業するまで、同市で過ごしています。



講演では、かつて戦争が始まった後、反対の立場だった人も主張をなくし、勝たなければならないと戦争を支持する人と団結したと指摘。「これが僕にとって一番怖いが、これからも起こりうること」と語気を強めました。

そのうえで、「若い人は空気を読むという言葉をよく使う。それは、戦争に流される時に『おかしいんじゃないか』と言わないことだ」と指摘。空襲時については、「当時は9歳。パジャマではだしのまま、人が流れる方向に逃げた」と語り、その体験を、火垂るの墓の空襲場面に反映させたといいます。

空襲後、自宅周辺に戻った際の景色を思い返し、「遺体だらけだった。生きているかのようなままで、陶器のようだった。怖くて震えが止まらなかった」と述べました。