高畑勲5日に亡くなった高畑勲監督の訃報を受け、『おもひでぽろぽろ』の撮影などで生前交流があった山形県内の関係者からも悼む声が上がっています。
『おもひでぽろぽろ』の制作でコーディネートを担当したシネマパーソナリティーの荒井幸博さんと高畑監督との出会いは1988年、同市で開催された高畑監督のドキュメンタリー映画上映会とシンポジウムの席上でした。



既に『おもひでぽろぽろ』が念頭にあったかはわからないけれど、そのとき高畑監督は紅花染のネクタイを着けていたそうです。荒井さんは『火垂るの墓』の素晴らしさについて熱く語り、以来、交流を重ねてきました。

1990年の春に、荒井さんのもとに便せん20枚の手紙と台本が届き、コーディネートを頼まれます。印象に残るのは、高畑さんの「リアルに描く」こだわり。「穏やかでユーモアがあって、こだわりが強い。社交辞令を言わない人でもあった」とふり返ります。

荒井さんは、つい最近も、スタジオジブリを訪ね、鈴木敏夫プロデューサーと1時間ほど話したといいます。内容は、高畑監督のことばかり。「(監督の容体を知る鈴木さんが)あえて思い出話をしてくれたのかな」とふり返り、「残念だし悔しい。『宮沢賢治を題材に撮りたい』と言っていて、次回作に取り掛かると思っていた」と悼んでいます。

『平成狸合戦ぽんぽこ』で交流 上々颱風の白崎映美さん

『平成狸合戦ぽんぽこ』で主題歌「いつでも誰かが」を担当した歌手の白崎映美さんは訃報に、「高畑監督は日本の良心だったと思う。寂しさがある」と語たりました。

白崎さんが所属する上々颱風を高畑監督が指名し、映画全編の音楽を担当しています。主題歌の選曲は、高畑監督のひと声で「高畑監督が大好きで、どうしてもこの曲がいい」と要望があり採用されています。

「日本はどう生きていくのか、との姿勢をアニメ制作という形で貫いていた」。白崎さんは、仕事を共にして、そう感じ取ったといい、「私たちも心して生きていかなければと思わせてくれた」と交流をふり返えりました。