週プレNEWSによる、宮崎吾朗監督のインタビューが公開されました。

――今回、監督第2作を引き受けるにあたって、「どうしても映画という仕事をやっていきたい」という力強い言葉が監督のほうからあったそうですが。

「……それ、プロデューサーの捏造です」

――えぇ!? あのジブリの名物プロデューサー、鈴木(敏夫)さんの?

「はい。あの人は事実を捏造する天才なので(笑)。確か、『ゲド戦記』をつくり終わってからすぐ、『次はどうする?』って聞かれたんですね。そのときは、“やる”とも“やらない”ともはっきり答えられなかったんです。僕としては、まだアニメ監督でやっていけるのか自信もなかったし、かといって、もうジブリ美術館には戻れなかったので」



――初代館長を務めたジブリ美術館は『ゲド戦記』の監督を引き受けた際に辞職されたんですよね。

「あのときも、氏家さん(ジブリと縁の深い日本テレビ前会長の氏家齊一郎氏。今年3月に逝去)から、「後戻りするつもりでやっちゃダメだ。館長は辞めろ!」って言われて辞めたので……」

――やたら強引な人が周りにたくさんいますね……。

「それで辞めたはいいものの、スタジオにいると鈴木さんに会っちゃうし。しょうがないから、しばらく美術館のカフェで皿洗いなんかしてましたね」

――衝撃的事実! お子さまも、まさか「このパフェの器を洗ったのが吾朗監督だ」なんて思わなかったでしょうね。

「そこで身を隠しながら、まあ、リハビリ生活をしてたというか。そうこうするうちに、父が監督した『崖の上のポニョ』(08年)が公開されて、次に『借りぐらしのアリエッティ』(10年)の企画が出てきたとき、また鈴木さんから『どうする?』って聞かれて、『やりたくない』と言っちゃったんですよね」

――作品性が合わないと?

「いや、監督という役回りから逃げたくて(笑)。完全に“問題先送り”ですね。鈴木さんに「自分で企画を持ってきますから」と言ったはいいものの、その後なかなか企画を決められず……。それで、もうやるしかないと『コクリコ坂から』を引き受けるに至ったんです」

 

オヤジが来たら逃げたほうがいい

――前作と違って、今回はお父さまが脚本を担当していますよね?

「はい。僕は100パーセント、演出家という立場ですね。だから、父の書いた脚本に忠実に絵コンテを描こうとしたんですけど、なぜか非常に暗いものにしかならないんですよ」

――完成した作品は、あんなに明るいのに?

「ええ。最初の絵コンテの段階では、『ゲド戦記』以上に陰鬱な雰囲気になってしまったんです(笑)。そもそも、60年代に青春時代を過ごした“団塊の世代”を主人公にして、『あの頃はよかった』的な話をやることに違和感を抱いてしまった。いまの行き詰まった時代のきっかけをつくったのは、その世代じゃないの、と思いますよね(苦笑)」

――そういう“団塊ジュニア世代”の感覚が反映されたんですね。

「そうですね。自分でも『こんなに暗いもの、誰が観たいんだ!』って頭を抱えました。鈴木さんからは、『公開を1年ずらすから、描き直すか?』と言われ。それで、半ばヤケクソになって頭からやり直したんですけど、しばらくして父の描いた宣伝用ポスターの絵も上がってきて、そこにいた主人公の海ちゃんの初々しさに打たれたんですね。それから、登場人物の気持ちに寄り添うように仕事を進めていったら、自然と時代設定への違和感はなくなっていきました」

――一枚の絵をきっかけにして、親子の化学反応が起きていたとは! ちなみに、『ゲド戦記』のときは、吾朗さんが監督することに駿さんは最後まで反対し、ふたりとも一切口をきかなかったにもかかわらず、駿さんが夜中にこっそりスタジオをのぞきに来ていた、なんてこともあったそうですが。

「今回は、父も『脚本からあとのことは任せる』と言ってから仕事に入ったんですが、やっぱり気になったみたいで、ちょくちょく来てましたよ。僕らが仕事をしていたら、さも“偶然通りかかった”みたいな様子で現れたり(笑)。彼はなんだかんだ理由をつけてコンテを見たがるんですけど、こっちも『任せるって自分で言っただろう!』と言って追い返したりね」

――かわいい(笑)。

「鈴木さんも『宮さん(宮崎駿)が来たら描きにくくなるから、逃げたほうがいい』と言っていたんですが、結局スタジオにいると父が口を出そうとするので、スタジオとは別に部屋を用意してもらってそこで仕事していました」

――そのかいあってか、今までのジブリにはなかった表現が随所にありましたね。海ちゃんが夢を見るシーンなんか、すごく幻想的に描かれていて。

「宮崎駿であれば、あそこはキャラクターの“動き”で見せていくんでしょうね。これまでのジブリや宮崎アニメの手法というのは、具体的な動きを紡いでいくものだったわけじゃないですか」

――海と恋に落ちる俊が近づくきっかけになった“コロッケ”のシーンは、脚本会議でもお父さまが身振り手振りで実演していたそうですね。

「そこらへんは、やっぱり完成稿でもひどく子細に書いてあるんですよ(笑)。でも、僕は冒頭から順を追ってストーリーを立ち上げていくというやり方なので、部分的に細かくても『なんかちょっと違うな』って思っちゃうんです。そういったところは動きを抜いてシンプルにしたり。逆に脚本に何も書かれていない部分は、想像力を膨らませてコンテを切っていったりしました」
 

フリーになったら大変じゃないですか!

――完成した作品を見たお父さまから何か言われましたか?

「う~ん、直接はないですね。人づてに言ってきたりで」

――前作のときも、完成披露試写会の場で初めて口を開いたり、吾朗さんに面と向かって何か言うことはなかったみたいですね。

「まあ、お互いに親子のつき合い方を知らない人間ですから(苦笑)。聞いたところでは、『コクリコ坂から』に関しては「ストーリーはうまくいっている」と言っていたみたいですが。……って、脚本は自分で書いたくせに(笑)」

――(笑)。それは、ストーリーをうまく引き出せてる、ということじゃないでしょうか。

「まあ、そうかもしれませんね。反対に、アニメーションの表現では足りないところがあるとは言っていました。僕としては、観客の方に『シナリオは良かったけど映画としてはつまらなかった』とは言われたくないですよね。今回は父が脚本、僕が監督という役割がハッキリしていただけに、どこまで脚本に沿うかという部分で居心地の悪さを感じたのも確かです。ただ、どれだけ脚本に忠実にやろうとしても、自分なりの理解や登場人物の掘り下げがないとうまくいきっこないんですよ。さっき言ったように、最初の絵コンテが暗いものになってしまった最大の原因はそこですね」

――こんなことを言うのは生意気なんですが、監督2作目にして演出家としての手応えをガッチリつかんでいるような気がします! そこで最後にお聞きしますが、今後ジブリを出てフリーとして外部のスタジオで仕事をする気はないですか?

「ないです」

――早っ!

「だって、フリーの監督って大変そうじゃないですか! 僕は、自分のやりたいことが先に立つタイプじゃないんですよ。プロデューサーに課題を与えられながら、それを広げていくほうが性に合っているような気がするんです。オリジナルのストーリーで挑戦するという作家性の強いタイプでもないので」

――やってみないとわからないじゃないですか! 監督、もっと上を向きましょうよ!

「いや、僕はある意味、サラリーマンでいたいです」

――『コクリコ坂から』という良作を撮ってなお、その控えめな発言。逆に不気味です……!

「消極的なだけです(笑)」

(取材・文/西中賢治 撮影/本田雄士)

全文は「週プレNEWS」でご覧ください。

映画監督・宮崎吾朗、スタジオジブリ最新作『コクリコ坂から』を語る
http://wpb.shueisha.co.jp/2011/07/25/6009/