なつぞら 井戸原昇 大工原章『なつぞら』に登場する個性的な風貌をしたアニメーター・井戸原昇。彼は、東映動画で活躍したアニメーター・大工原章さんをモデルにしていると思われます。実際の大工原さんと、井戸原の風貌こそ違いますけど、『白蛇伝』において原画を2人だけで務めたというエピソードは、そのままに『なつぞら』の中でも使われています。



大工原さんは作品毎にまったく異なるスタイルで挑み、持ち前の技術とスピードで東映動画の初期長編作品では作画監督を務めました。
ドラマの中でも井戸原は筆が速く、驚異的なスピードで上質な作画を仕上げる実務家肌という役どころを担っていて、実際の大工原さんが投影されていることがわかります。

芦田漫画映画製作所から、教材映画研究所へ

大工原さんは、子供のときから絵を描くのが好きだったといいます。とにかく絵を描く仕事がしたいと20歳のころ、芦田漫画映画製作所に入ります。そこで仕事をするうちに、戦争が始まってしまい芦田巌さんが徴兵されてしまいます。
大工原さんはそのころ雑誌の挿絵などを手がけ食い繋いでいたそうです。そのうちに山本善次郎さんから声が掛かり、教材映画研究所で働くことになります。ここで大工原さんは、日本の先駆的なアニメーション作家である村田安司さんや政岡憲三さんらと出会い多くを学びました。

日本漫画映画社の設立

そして終戦を迎えることとなり、山本善次郎さんや村田安司さん、政岡憲三さんら漫画映画関係の人材が集まって「日本漫画映画社」が設立されます。
この頃、日本漫画映画社は受注製作ではなく、売れるかどうかもわからない作品を作っていて、たちまち経営不振へと陥ります。
大工原さんは雑誌の挿絵を描く仕事もしていたため、食いっぱぐれることはなかったそうですが、取引先の出版社が倒産してしまいます。
そんなときに、山本善次郎さんから「日本動画(日動)」に来ないかと誘われ、日動へと入社します。ここで大工原さんは、森康二さんと出会うことになるのです。

大工原章

東映動画時代

この頃、大工原さんは背景画を描いていましたが、政岡さんの指示もあってアニメーションの作画を始め、日動時代には『トラちゃんの冒険(1955)』で作画監督を務めるまでになります。

その後、『うかれバイオリン』を実験的に東映が日動に作らせ、大工原さん、森康二さんらはここで原画を務めます。ここでの仕事が認められ、日動は東映に吸収されるかたちで東映動画が誕生します。そして、東映動画の長編アニメーション第一弾として作られたのが『白蛇伝』です。

大工原章

長編を作ることになったため、東映動画にはアニメーターが大勢集められました。しかし、その中にはほとんど絵の描けない人もいたそうです。
人材が不足しているため、『白蛇伝』の原画は大工原さん、森康二さんの二人だけで行なわれました。

このエピソードは、NHKの朝ドラ『なつぞら』でも実話をベースにしていて、井戸原昇と仲努の二人だけが原画を行なっています。

そのときの実際の製作体制は下記の通りです。

原画:
大工原章、森康二

セカンド:
大塚康生、坂本雄作、喜多真佐武、紺野修司、寺千賀雄、中村和子

動画:
寺千賀雄、楠部大吉郎、長沼寿美子、藤井武、加藤洋子、松隅玉江、赤坂進、中谷恭子、永沢詢、奥山玲子、小田克也、石井元明、野沢和夫、杉山卓、桜井百合緒、大田朱美、生野徹太、堰合昇、市村純子、島村達雄、烏丸軍雪、山室正雄、勝田稔男、元藤郁子、笠井晴子、高松新八郎、相磯嘉雄、石野佳子、福島信行、渡辺保三郎、関口正子、高尾研三、市堀千恵子、太宰真知子、杉井儀三郎、吉田迪彦、堀川豊平、江藤昌治

トレース・彩色:
進藤みつ子、山田みよ、伊藤澄子、宮崎正子、本橋文枝

「セカンド」は、原画のクリーンアップ、原画のあいだの難しいシーンをできるだけ描いてから動画に回すこと、動画完了後の細部のチェックや、動画への指導を行ないます。

『なつぞら』では、川島明さんが演じる下山克己と、貫地谷しほりさんが演じる大沢麻子がセカンドでした。
ちなみに、下山克己は大塚康生さんで、大沢麻子は中村和子さんをモデルにしていると思われます。

なつぞら 下山克己 大沢麻子

こうして『白蛇伝』の原画は大工原さんと森康二さんが担当し、アクションシーンや色っぽいカットなどは大工原さんが、動物のかわいらしいシーンは森さんが描き、たった2人の原画によって長編アニメーションを完成させる快挙を達成しました。

大工原さんは、昭和54年には東映動画のアニメーション養成講座・昼間部門で主任指導員を務め、昭和55年にはスタジオ・カーペンターを設立し、新人を育成。スタジオジブリで作画監督を務めた佐藤好春さんも、スタジオ・カーペンター出身です。

大工原章さんの後輩たち

晩年の大工原さんは、後輩アニメーターたちの仕事ぶりをこのようにふり返っています。
大塚康生さん、小田部羊一さん、奥山玲子さん、宮崎駿さんらについての話です。

大塚さんは最初僕についたんだけど、人物よりも波などの自然現象や荒唐無稽な怪物なんかに才能を発揮してました。それから奥山さんもおもしろい絵を描く人でしたね。彼女には『猿飛佐助』のときに夜叉姫を描いてみたらって任せたんですよ。きっと女性ならではの夜叉姫を描いてくれるだろうと思ってね。思惑どおり髪を振り乱した迫力のある夜叉姫があがってきました。小田部くんは、森さんの系統の絵を描いていたな。リアルなものは楠部大吉郎さんに任せてたね。それから彦根範夫さんも個性のある絵を描く人だったよ。

宮崎駿くんは当時からうまかったね。不思議な人で当時から作家の風格がありました。なんの作品だったか忘れてしまったけど、森さんの担当分が僕に回ってきたとき、宮崎くんが僕も手伝いましょうと言ってきたんです。こんなふうにやったらどうでしょうかって自分のアイデアを僕に進言するので、じゃあやってみたらってやらせてみたんです。映画になってそのシーンを観たらホントにうまくまとめあげてておもしろくなってるんですよ。発想とそれを画にする力がある人だね。

大工原章

幾多の名作長編アニメーションの原画・作画監督を歴任し、数々の後進を育てた大工原さんは、2008年より介護施設に入所され、2012年6月17日に肺炎と老衰により亡くなりました。享年94歳でした。

今や世界中で人気となっている日本のアニメですけど、その始まりには大工原さんや森康二さんらが育んできた歴史がありました。
現在のアニメーション表現の基礎も、これまでの作り手たちの努力の積み重ねの上に成り立っていて、監督だけではない数多くのスタッフによって成し遂げられています。大工原さんは、そのなかで大きな役割を果たしていたのです。

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