ここでは、スタジオジブリの設立について。
ジブリの名前の由来など、ジブリファンには今更な情報をお届けします。 
 

スタジオジブリの設立

スタジオジブリは、「風の谷のナウシカ」公開の翌年、1985年6月、吉祥寺に設立。
徳間書店傘下としてスタート。

「ナウシカ」の興行的成功にもかかわらず、次回作の引き受け手が見つからなかったため、宮崎駿と高畑勲のふたりが、自らの職場を作るためにスタジオとして設立することになる。
“自分たちの作りたい映画を作るためのスタジオ”という位置づけで、当初は長続きさせるつもりもなく、ヒット映画も生まれるとは思っていなかったらしい。

1992年に、小金井市の新社屋に移転。スタジオは、宮崎駿監督が自ら設計。
車好きでありながら、駐車スペースを小さめにして木を増やすなど、環境に配慮。駐輪場の下には、災害用トイレが隠されていたり、宮崎監督のアイディアが反映されている。
スタジオの女性用トイレは、男性の倍の大きさで作るなど、フェミニストの一面もう伺える。

フェミニストであると同時に、“女性を大事にする会社は発展する”という考えの基からきているらしい。その考えは、作品にも反映されている。「もののけ姫」のタタラ場で仕事をしているのが、すべて女性であったり、「紅の豚」でも飛行機の修繕をしているのはすべて女性である。

2005年4月に徳間書店から独立。
商号は株式会社スタジオジブリ(STUDIO GHIBLI INC.)となる。
鈴木敏夫が代表取締役社長に就任。

2008年、後任に元ウォルト・ディズニー・ジャパン会長の星野康二が就任。

 
スタジオジブリ設立までの詳しい経緯や、裏話など。ナウシカをヒットさせたのに、何故次の仕事がなかったのか、などなど、鈴木敏夫プロデューサーの著書、「仕事道楽」に詳細が書かれているので、こちらをご覧ください。

 

社名

「スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)が由来。
第二次世界大戦中のイタリアの軍用偵察機の名前でもある。

飛行機マニアの宮崎監督は、まず「ジブリ」という名前を飛行機の名前として知り、そのうちに熱風という語源を知る。スタジオに名前をつけるとき、このことを思い出して、「アニメーション界に旋風を巻き起こそう」という気持ちを込めて、「ジブリ」という名前を採用。
しかし、イタリア語なので発音は「ギブリ」が正しい。命名後に、高畑勲がそのことを指摘している。
既に訂正のしようもない状態だったので、「ジブリ」のまま貫き通すことになった。

プロデューサーの鈴木敏夫は、インタビューでこのように語っている。

「ギブリ」では、なんかお腹くだしてビリビリしてるみたいでしょう(笑)。「ギブリ」だったら、もしかしたら名前にならなかったかもしれないですね。だから、世にも珍しい、世界に一つしかない名前のスタジオになったんじゃないですか。