ゴローとケイスケ先日発売された書籍『トトロの生まれたところ』で、宮崎駿監督の奥さま・朱美さんのイラストが世に出回りましたけども、朱美さんのイラストが書籍化されるのは、今回が初めてではありません。
朱美さんは、元々東映動画に勤めていまして、駿監督とは同僚でした。



宮崎駿さんの先輩アニメーターの森康二さんは、朱美さんが描く絵をこのように評価していました。

森康二:
以前奥さんが、子どもの成長の記録を絵にしていました。そこに宮さんの絵もありましたが、奥さんの絵のほうが人間のあたたか味が感じられ、すばらしかったのです。

森康二さんがこう話しているイラストは、『ゴローとケイスケ』という本になっています。

ゴローとケイスケ

朱美さんは、吾朗さんが5歳になるまでは東映動画に務めており、その期間に描いた子どものイラストが、スケッチ日記として掲載されています。幼少期の吾朗さんと敬介さんの育児記録ですね。

そこには、少しですが駿さんのイラストも混ぜられており、夫婦による絵日記となっています。

イラスト日記もさることながら、朱美さんと駿さんお二人のあとがきが、育児を経てたどり着いた、とても良いものなので一部ご紹介します。

ゴローとケイスケ

巣立ちの日――宮崎朱美

思わぬことから子供たちの小さかった頃を描いた絵が本になることになり、驚いています。これは私の宝物である6冊のスクラップブックから選んだ絵と、その頃を想い出して書いたものです。あの頃は若さのおかげで、忙しく走りまわることも案外平気で、夫も子供に関してはよく協力してくれ、雪の日などはオンブして帰ってくれたこともありました。家族や近所の方々、保育園の先生方、職場の友人達に支えられていたとつくづく思います。

ゴローが5歳、ケイスケが2歳になったとき、私は退職しました。その半年ほど前に夫は職場を変わっていて、毎晩、夜中とか未明に帰宅するようになっていたので、育児、家事が全て私の負担になり、仕事を続けることが耐えられなくなっていたのです。

(略)

それから十数年、ゴローは大学へ進学して、大きなリュックをかついで出ていきました。
育った息子が手元から離れて翔びたつのは当然と思いながらも、そのときの寂しい気持ちは何ともいいがたいものでした。そのとき、私自身を納得させるために考えたことは、ゴローから預かって育てたゴローの生命をゴロー自身に返したのだということでした。ずいぶんカッコ良い考えだなとも思いましたが、どう考えてもこれ以外の考えは浮かびませんでした。

連帯の挨拶――宮崎駿

2人の息子達は、小学校の低学年まで、絵本を見るように家内の6冊のスクラップブックを開いて、結構楽しんでいました。元来、目的があって描かれたものではないので、子供達の情緒の安定によい役割を果した、などと判定するのは間違いですが、ひとつだけ気になっていた事があります。長男の絵に比べ、次男の分がどうしても数が足りないのです。

(略)

次男が数の少ない自分の絵に、楽しみつつも何を感じていたのか、同じく次男として育った私にはなんとなく判る気がします。

次男の絵が少なくなる理由は、二度目の体験という親のなれと、保育園に通った期間の短さが原因ですが、はじめての自分の今を生きている次男にとっては、そのような言訳を理解できるはずはありません。

よくいわれる「他人に迷惑をかけない」なんて事はあり得ないのだと思います。愛情と善意にあふれていても、互いに自分の影を押しつけあい、迷惑をかけあって、育ったり暮らしたりするのが人の世なのだと思うようになりました。


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